大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和63年(タ)240号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

昭和三七年六月一四日大阪市南区長に対する届出によりした原告及び甲野春子と被告との間の養子縁組は無効であることを確認する。

第二  事案の概要

一  戸籍上、昭和三七年六月一四日大阪市南区長に対する届出により、原告(明治四二年三月二〇日生)及びその妻甲野春子(大正元年一〇月一八日生、昭和六〇年一二月二九日死亡。以下「春子」という。)を養親とし、被告(昭和一一年三月二一日生)を養子とする養子縁組(以下「本件縁組」という。)の記載がある(乙三の1、2)。

二  争点は、原告及び春子に本件縁組の意思及び届出意思があったかどうかである。

第三  争点に対する判断

一  証拠(甲二の3、乙一の1ないし11、二の1ないし7、七の1、2、八、一四、二二ないし二四、検乙一ないし一一、証人甲野夏子、原、被告本人)によれば、次の事実が認められる。

1  原告と春子とは、事実上の婚姻(届出は昭和一三年七月二五日)後七、八年間子ができなかったため、原告の希望により、その弟甲野次郎の子である甲野夏子(昭和一四年七月二日生。以下「夏子」という。)を生後一週間くらいで貰い受け、原告夫婦の長女として出生届出をし、更に、原告が同居していた春子の妹乙川秋子に生ませた非摘出子である丙田冬子(昭和一五年七月一二日生。以下「冬子」という。)を二女として出世届出をし、二人を実の娘として養育した。

2  原告は、かねて○○商事の商号で不動産業を営んでいたが、昭和三六年一一月にこれを会社組織に改めて、いわゆる同族会社である○○不動産株式会社を設立した。

3  原告、春子夫婦は、当初から夏子にいわゆる婿養子を迎えて家業を継がせる考えであり、昭和三六年ころから和歌山市在住の知人T子に適当な男性の紹介を依頼していた。被告は、同市内にある○○寺院(△△寺)住職の五男として生まれ、当時和歌山I自動車株式会社営業部に勤務していたところ、得意先の従業員であったT子から婿養子の話を持ちかけられ、末子で自由な立場であったことからこれに応じた。

4  被告は、同年一一月大阪市南区の料亭で夏子と見合をし、当日早週夏子の案内で同区〈住所省略〉の原告方へ行って、原告とも面談した。その後、春子から、原告もよいと言っているので養子に来てほしいと申し込まれ、T子からは、夏子の妹の冬子の縁談が既に決まっているとして催促されたので、被告は、婿養子になることを承諾し、同年末ころ春子が和歌山の被告の実家へ結納を持参した。結納の金額は、当時としてはかなり高額の一三〇万円であったが、仲人に対する謝礼のことを考慮した春子の意向により、三〇万円を現金で授受し、残額一〇〇万円は別途三和銀行島之内支店の被告名義の預金として交付された。

5  被告は、原告から養子になると決まった以上早く来てほしいと要望され、和歌山I自動車株式会社を退職し、昭和三七年三月から○○不動産株式会社に入社して、不動産取引業務の見習を始め、同年四月には、原告が借りてくれた南区〈住所省略〉所在の文化住宅に入居して、そこから通勤し、食事は原告方でするようになった。そして、同年五月五日の挙式後、被告は、原告夫婦の勧めにより、原告の郷里である福井県方面へ新婚旅行に行き、原告の先祖の墓参と本家に対する挨拶をした。他方、原告は、同年六月春子、被告及び夏子と共に被告の実家へ出向き、入院中で結婚式に出席できなかった被告の実母に挨拶をした。

6  被告と夏子の婚姻届出及び本件縁組の届出はいずれも昭和三七年六月一四日にされているが、その届出手続を実際にしたのは夏子である。被告と夏子は、当初二人で婚姻届出のために南区役所へ行ったが、担当者から養子になるのであれば養子縁組届出も必要であると指示された。そこで、夏子は、養子縁組の届出用紙の養父母欄、養子欄等必要事項を書き込み、捺印を依頼して春子に渡したところ、春子は、間もなく、養父欄には原告の実印が、養母欄には春子の銀行取引印が押され、証人欄にK及び甲野三郎の署名捺印がされたもの(甲二の3)を夏子に返却したので、夏子は、これを南区役所に提出した。Kは、○○不動産株式会社設立当初から株主、取締役であり、また、甲野三郎は、原告の弟で原告方に始終出入りし、原告一家と親密な交際を続けていたものである。

7  被告は、挙式後甲野姓を名乗り、昭和三八年末ころ南区〈住所省略〉の原告方が鉄筋三階建のビルに建て替えられた後原告夫婦と同居した。そして、被告は、同年六月には○○不動産株式会社の株主(三〇〇株)となり、その持株数は逐次八〇〇株、一三〇〇株と増加し、昭和五〇年二月には三〇〇〇株となり、同年一月以降右会社の取締役に就任して、原告の家業に従事した。その後昭和六〇年三月には夏子(二〇〇〇株)及び被告の長男花男(一二〇〇株)、二男月男(六〇〇株)も株主となっている。一方、冬子及びその夫丙田秋男も株主(合計二〇〇〇株)となっているが、その子は株主となっていない。これらは、すべていわゆるワンマン経営者である原告の意思によるもので、被告夫婦を甲野家の後継者として遇する原告の考え方の端的な現われであった。

8  原告と被告及び夏子との関係は、春子生存中はなんら問題なく推移していたが、春子死亡後間もない昭和六一年一月二九日、原告は、再婚すると言い出し、被告夫婦が春子の喪が明けるまで一年間待ってほしいと反対したにもかかわらず、同年三月末ころSを後妻とし、これと同居を始めた。その間、被告夫婦が強硬に反対を続けたことから、原告は、被告夫婦が再婚を邪魔しているとして、被告夫婦に激しい悪感情を持つようになり、昭和六一年一〇月ころ夏子を相手方として親子関係不存在確認の訴えを提起するとともに、被告を相手方として離縁の調停を申し立て、これが不成立に終ると本訴を提起するに至った。

二  以上認定の事実によると、本件縁組の届書の養父母欄は夏子が記載したものではあるが、その捺印部分は、原告と春子が相談のうえその了解のもとにされたものであり、春子はもとより、原告には本件縁組の意思も届出の意思もあったものと認めるのが相当である。したがって、原告の請求は理由がない。

(裁判官 島田禮介)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例